恵子さんが染色家になったのは、いつの頃からか私も気づかないうちのことでした。彼女は元々、自然や色彩に対して強い関心を持っていましたが、ある日を境に、彼女の目指す理想の色を追い求めるようになりました。そして、いつの間にか、その探求の旅が本格的な草木染めの道へと繋がっていったのです。彼女は「これだ」と思う色を実現するために、ありとあらゆる植物や草木を試し、季節や環境に応じた微妙な変化にも敏感に対応しながら、色彩を生み出す技術を磨いていきました。
草木染めは、ただ単に材料を染料に浸ければ良いというわけではありません。自然の恵みを活かすこの手法には、天候、温度、湿度、さらにはその年の気候までもが色合いに影響を与えるため、同じ手順を踏んでも毎回違う結果が生まれます。そのため、職人は常に自然との対話を欠かすことができません。恵子さんは、この難しさと向き合いながらも、あくなき探求心を持って、何度も挑戦を繰り返し、自分だけの色を見つけ出そうと努力しています。
彼女が生み出す草木染めの色彩は、一見してただ美しいだけではなく、その裏側には彼女自身の心が反映されています。自然の素材に感謝し、それを最大限に活かす技術と、心のこもった丁寧な作業。そのすべてが、一本の糸に集約されているのです。
私自身、幼い頃から恵子さんのそばで過ごしてきたこともあり、目に見えないものを信じる感覚は自然と身についていました。「言霊」のような、言葉に宿る力や、物に対して感謝や思いを込めることの大切さは、日常の中でいつも感じていたものです。彼女が草木染めを行うとき、その作業は単なる物理的なプロセスではなく、常に糸や布に「綺麗に染まってね」と語りかけながら進められます。その言葉は、単なる独り言ではなく、自然との対話であり、素材への感謝の気持ちが込められたものでした。
その結果として生まれる草木染め刺し子糸は、ただの材料ではありません。それは、恵子さんが自然に捧げる祈り、そして素材に託す思いが結晶化したものです。彼女が「役に立ってね」「美しく染まってね」と心から願いながら生み出した糸たちは、使い手の手に渡るとき、また新たな命を吹き込まれるのです。
刺し子という手仕事は、昔から日本の生活文化の中に根ざしており、ただ技術的に布を縫うだけではなく、心を込めて糸を通す行為そのものに意味がありました。恵子さんが「綺麗に染まってね」と糸に語りかけるように、刺し子をする際には「この糸が誰かの役に立ちますように」と願いを込めて一針一針を進めていく。このプロセスそのものが、祈りの所作であり、刺し子の本質であると私は感じています。
さらに、現在進行中の「運針会プロジェクト」では、恵子さんが染めた草木染めの糸が多く使われています。このプロジェクトは、刺し子を通じて人々を結びつけることを目的としていますが、その一環として、恵子さんが染めた特別な糸が使用される場面があります。この糸の選定には、恵子さん自身の深い祈りや願いが込められており、彼女が何気なく選んだように見える色にも、実は大きな意味があるのです。
彼女が糸を染める際に込める思い、それは単なる「美しい色」を作ることではなく、その色が使われることで人々が繋がり、そしてその繋がりが未来にまで続いていくことを願っているのだと思います。そのような意味で、彼女の草木染め刺し子糸は、単なる道具以上の存在です。それは、彼女の祈りが形となったものであり、使う人の手に渡ることでその祈りがさらに広がっていくのです。
刺し子は、表面的にはただの手芸の一つに見えるかもしれませんが、実際にはもっと深い意味を持っています。それは、自然と対話し、素材に感謝し、人々と心を繋げるための儀式のようなものです。恵子さんが作り出す糸は、その儀式を支える重要な要素であり、それを使って刺し子を行う私たちもまた、彼女の祈りを受け継ぎながら、一針一針に心を込めて進めていくのです。
