アートとしての刺し子への挑戦

運針会NYCタペストリー

· 刺し子な冊子2024

「刺し子と美術の関係性」は、刺し子を続ける私にとって、目を伏せることができないテーマになっています。それほどまでに西洋において、「刺し子はアートだ」と叫ばれ続けています。ただ、刺し子と長年生きてきた私にとって、刺し子はアートだと断定されると、違和感を感じてしまうことも事実です。

ふと恵子さんに聞いてみるのです。

「刺し子ってアートかなぁ?」「恵子さんにとってのアートって何?」

恵子さんからの返事は以下でした。

「皆さんのおかげで、作品が好きなように作れる事に感謝しています。何の決まりもなく、作れる事が嬉しいです」

いつも通り、質問の答えになっていない返事なのですが、そこに本質があるような気がしています。恵子さんからの返事と、様々な角度からのアートの定義を模索すると、アートとは「作り手の哲学を反映するもの」という解釈に出会いました。簡単に言うと、「作る人の気持ちが表われているもの」がアートなんだろうと。

そこでふと思ったのです。

上記の恵子さんの思いを「アート」と定義して、「刺し子からアートに派生するものとして」私達からアートとしての刺し子を紹介できないかと。なんでもかんでもアートになってしまう現代だからこそ、必死に考えて、祈りを込めて、多くの方と一緒に作る作品を、私達のアートとしてみる。

刺し子をアートと世界が認識するのなら、私達も挑戦してみようじゃないか。そして、挑戦するのであれば、運針会でご縁を頂いた皆様と一緒に作りたい。

いつか美術館に展示できることを最終的な目的として、英語での副題に「Bring Sashiko to the NYC as an Art Piece(刺し子をアート作品としてNYCに持っていく)」と名付け、できた作品がこちらです。

-

刺し子を「アート」として世界に紹介できるのではないかという考えが私の中に芽生えた時、その可能性に心が躍りました。恵子さんが「好きなように作れることに感謝している」と言っていたように、もし自由な創造と感謝の気持ちがアートの本質ならば、私たちが日々紡いできた刺し子もまた、立派なアートとして存在し得るはずです。

しかし、「アート」として刺し子を定義することには責任が伴います。刺し子は単なる技法ではなく、その根底には祈りや思いが込められており、それこそが私たちにとっての刺し子の真髄です。もし刺し子をアートとして発信するのであれば、その深い精神性や歴史を失わないように、しっかりと伝える覚悟が必要です。表面的な美しさだけを強調するのではなく、長年受け継がれてきた祈りの力を、現代の感性に触れる形でどう表現できるかが重要なのです。

この考えを持って、私は刺し子をアートとして再構築しようと決意しました。ただの装飾や手仕事としてではなく、思いを込めて作り上げる作品としての刺し子。私たちがこれまで紡いできた針の動き、糸の繋がり、そしてそこに込めた感謝や祈り。それらが一つの形となり、作品として昇華する瞬間を目指して、私は新たな挑戦を始めることにしました。

そんな挑戦の一つが、運針会でご縁を頂いた皆様と共に作り上げるプロジェクトです。刺し子を通して共に手を動かし、同じ時間を共有しながら、一針一針に込められた思いを作品に昇華させていく。このプロジェクトでは、皆で刺し子を作り上げることで、それぞれの祈りや感情を共有し、より大きな「アート」としての形にしていくことを目指しています。

そして、その最終目標が「いつか美術館に展示される日」です。刺し子をアート作品として世界に広め、現代の文化の中にその精神を根付かせるために、私たちは「Bring Sashiko to the NYC as an Art Piece(刺し子をアート作品としてNYCに持っていく)」というプロジェクト名を掲げました。ニューヨークという、アートと文化の中心地で刺し子が認められる日を夢見て、私たちはこのプロジェクトを進めています。

刺し子がアートとして評価されることで、ただの手仕事や技法に留まらず、その中に込められた深い祈りや思いが、より多くの人々に届くことを願っています。そして、刺し子を共に作り上げる仲間たちと共に、その夢を追いかけていく旅路を楽しみながら、私たちの作品を世界に送り出したいと思っています。

こちらが、その第一歩として生まれた作品です。

broken image